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萌え。それは新たなPygmalionism

2011年12月09日

前回つらつらと書いた私の想いは創作物の登場人物や彼らの創造主(作者)にも当てはまるかもしれません。

ゲームやアニメ、小説などのキャラは幻想、理想の塊であっていいと思うのですが
彼・彼女たちの個性を視聴者、読者に向けて発信し、魅力をより際立たせるためにもキャラクターたちの装飾品、特に衣服は本当に重要です。
それはイメージヴィジュアルのある者なら尚更。

仕事の方向や得意分野が違いますから漫画家やイラストレーターも服飾のプロであれ、とは言いませんが
依頼を受けて商売しているのなら、アパレルの方々と同じくプロフェッショナルの技術、知識ってやつを見せてほしいです。

例えば、漫画の教則本等に書いてある「衣服を着た時の布の流れ(シワのでき方)」。
大本の部分は理解していたとしても、どういう縫製の服を着させて、どんな姿勢を取らせたらシワがどのように変化するか。
巫女服とドレス、ひだスカートではそれぞれ布の縫い合わせやシルエットは全く違うものになります。
素材による質感、裁断・縫製の違いで生じる布の流れ。
それらを描き分けられる人ってどれぐらいいるのでしょう。
いえ、描き分けができてこそプロだと思うのですが、そこまで高い意識を持った人がどれぐらいいるものなのか。

先にイメージヴィジュアルなんて言葉を出しましたが、作品の受け取り手の感情移入を手伝うために、
また、ある時には表現の受け手に対して挑戦し、惹き付けるためなら技術はあった方が良いと断言します。
最近がっかりしたのが、一部のコンビニエンスストアでキャンペーン展開されている、ある作品の登場人物たちの普段着姿の販促POP。
先に触れた質感の表現はアニメ塗りでは限界はあれど、デザインで何とかならなかったものか。
一大センセーションを巻き起こしたアニメの美少女たちの纏ったものが、時代遅れどころか
思春期の多感な少女、それもごく普通の感性を持った彼女たちなら絶対に、何があっても袖を通さない服を着ていた時の残念感は異常。
もちろん、ファッション誌のように服ばかり目立つのもいけませんが、かっこ良く、可愛く見せる演出って必要なんじゃないでしょうか?
人によって感覚は違うでしょうが私はあれを「ダサい」「これはひどい」と思いました。
ダサいのは純朴さの表れ、とでも言いたいのでしょうか。
十代の女の子は誰もが瑞々しい感性を持って当然、というのは単なる私の幻想ですか?
性向以外の部分での魅力を確固たるものとするための「リアルであるべきアンリアル」がぶち壊される絶望ったらないです。

鳥山明のHETAPPIマンガ研究所 (ジャンプ・コミックス)

ある漫画家が提言したように、女性が好きなら女性の大ざっぱな見た目(顔、体つき)はもとより細部(髪型やしぐさ)も観察するべきでしょう。
好きなら観察、研究するのは作り手として当たり前だと思うんです。
観察をしない人のイマジネーションなんて限りがありますから、「ダサい」「ヒドい」キャラクターしか創造できない
クリエイターは所詮その程度ということになります。
それって、作り手として最も恥ずかしいことではありませんか?

キャラクターを我が子、我が娘として生み出す以上、もっと細部にも愛を注いで育ててほしいものです。
我が子ではなくただの商品、と見ていたとしても、より良いパッケージングを施す程度にでも着飾らせてはあげられないものでしょうか。

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